2013.08.0413:20
猪防柵(ししぼうさく)
猪が田んぼの中に入ったということを聞いて猪防柵(ししぼうさく)を作りました。
みんなが海苔網で田んぼを囲ったということで、うちは「ウルフピー」と言う「オオカミのおしっこ」が効くかどうかを確かめるために田んぼの周りに振りかけました。
この動物除けの忌避剤の「ウルフピー」は日本でおおかみのおしっこを搾り取ったのではなく、アメリカで搾り取ったらしいが、どのように搾り取ったのかは不明である。



猪防柵と言えば馬防柵(ばぼうさく)。
織田信長(おだのぶなが)が長篠の戦い(1575)(ながしののたたかい)で武田勝頼(たけだかつより)相手に使った戦術。
通説的には信長が行ったのは「鉄砲の3段射ち」と「馬防柵」だが、長篠の戦いで信長が鉄砲の連射を行ったという文献がないと言う。
この鉄砲の連射を行った最初の武将が紀伊の雑賀衆の「雑賀孫一(ざいかまごいち)」が行ったという記録が最初らしい。
信長が本願寺攻め(1580)を行った際に本願寺から傭兵と雇われたのが雑賀孫一の雑賀集団。
この戦いで雑賀衆の鉄砲の連射で信長の軍兵が鉄砲の弾に当たり、のたうち回って、信長自身も流れ弾に当たり馬から落ちて、のたうち回ったと記録されている。
大坂夏の陣(1615)の時に馬に乗り鉄砲を使ったのが、伊達政宗(だてまさむね)率いる鉄砲騎馬隊。ほどんど役に立たなかったと言われている。
この大坂夏の陣の戦いで真田幸村(さなだゆきむら)が馬上宿許筒(ばじょうしゅくしゃづつ)と言う「小型の火縄銃」を馬上から撃って徳川家康本陣に突入したことは有名である。
この小型火縄銃は従来の火縄銃の3倍の連射速度をほこっていたという。つまり普通の火縄銃が1発発射するときにもう3発撃てたと言うことになる。
この小型火縄銃は徳川幕府に対してあまりにも危険とみなされたので、幕末まで紀州のお城の倉でお蔵入りされたと言う。
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織田信長(おだのぶなが)が長篠の戦い(1575)(ながしののたたかい)で武田勝頼(たけだかつより)相手に使った戦術。
通説的には信長が行ったのは「鉄砲の3段射ち」と「馬防柵」だが、長篠の戦いで信長が鉄砲の連射を行ったという文献がないと言う。
この鉄砲の連射を行った最初の武将が紀伊の雑賀衆の「雑賀孫一(ざいかまごいち)」が行ったという記録が最初らしい。
信長が本願寺攻め(1580)を行った際に本願寺から傭兵と雇われたのが雑賀孫一の雑賀集団。
この戦いで雑賀衆の鉄砲の連射で信長の軍兵が鉄砲の弾に当たり、のたうち回って、信長自身も流れ弾に当たり馬から落ちて、のたうち回ったと記録されている。
大坂夏の陣(1615)の時に馬に乗り鉄砲を使ったのが、伊達政宗(だてまさむね)率いる鉄砲騎馬隊。ほどんど役に立たなかったと言われている。
この大坂夏の陣の戦いで真田幸村(さなだゆきむら)が馬上宿許筒(ばじょうしゅくしゃづつ)と言う「小型の火縄銃」を馬上から撃って徳川家康本陣に突入したことは有名である。
この小型火縄銃は従来の火縄銃の3倍の連射速度をほこっていたという。つまり普通の火縄銃が1発発射するときにもう3発撃てたと言うことになる。
この小型火縄銃は徳川幕府に対してあまりにも危険とみなされたので、幕末まで紀州のお城の倉でお蔵入りされたと言う。
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