2012.10.0120:07
再び山梨へ
この間、「武田神社」で腕輪のお守りを買うのを忘れたので9月19日にまた山梨に行きました。


前回と同じコースをとるのは嫌なので埼玉県から山梨に行きました。
よく調べなかったので埼玉から山梨まで130キロ、4時間かかったのにはびっくりしました。
紅葉の時期にはここは綺麗らしいが今の時期には何もありませんでした。
秩父を通っている途中に「和銅農園」と言ううちと同じジャットの高設をしているいちご園がありました。
ここの農園の園主はこの時期になるとアメリカのラスベガスに行き息子とパートにいちごを任せると言っていました。
本当は「武田神社」に行き「新府城跡」に行こうと思いましたが、山梨についたのが4時のため行けませんでした。

「新府城」は「武田勝頼」が対織田方の為に築城したお城で、建てて1週間でまだ内堀、外堀ができていない状態で織田方が甲州征伐に来るということで、織田方に壊されるならばいっそのこと自分で壊したほうが良いということで火を放ったようです。
その後、勝頼は「織田信忠」の軍から逃げたが、最後に自分の部下の「小山田信茂」に裏切られて「天目山」で自決しました。
小山田信茂はこの戦いの1番の恩賞をもらえると思いのこのこ出てきたが、「織田信忠」は裏切りを一番嫌っていた武将だったので、「ここに古今未曽有の不忠者がいる。どうゆう顔かよく顔をよく見ておくが良い」と言い小山田の親類までも皆殺しにしたとさ。


前回と同じコースをとるのは嫌なので埼玉県から山梨に行きました。
よく調べなかったので埼玉から山梨まで130キロ、4時間かかったのにはびっくりしました。
紅葉の時期にはここは綺麗らしいが今の時期には何もありませんでした。
秩父を通っている途中に「和銅農園」と言ううちと同じジャットの高設をしているいちご園がありました。
ここの農園の園主はこの時期になるとアメリカのラスベガスに行き息子とパートにいちごを任せると言っていました。
本当は「武田神社」に行き「新府城跡」に行こうと思いましたが、山梨についたのが4時のため行けませんでした。

「新府城」は「武田勝頼」が対織田方の為に築城したお城で、建てて1週間でまだ内堀、外堀ができていない状態で織田方が甲州征伐に来るということで、織田方に壊されるならばいっそのこと自分で壊したほうが良いということで火を放ったようです。
その後、勝頼は「織田信忠」の軍から逃げたが、最後に自分の部下の「小山田信茂」に裏切られて「天目山」で自決しました。
小山田信茂はこの戦いの1番の恩賞をもらえると思いのこのこ出てきたが、「織田信忠」は裏切りを一番嫌っていた武将だったので、「ここに古今未曽有の不忠者がいる。どうゆう顔かよく顔をよく見ておくが良い」と言い小山田の親類までも皆殺しにしたとさ。
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